内容説明
仕事と家事に追われるありふれた日常を送りながら、作者はいつも旅をしている。現実と夢の境目の向こうにあるパラレルワールドへ。夜の都会に隠れ棲む生き物たちとの交歓の世界へ。太古から未来へ時空を超えて語り継がれる一続きの物語の中へ。
飾らない平易なことばによって織りなされる、静謐な詩的世界。
(作品の一部より)
深い湖の底に
窓が眠っている
かつて その窓は
梢を渡る蒼い風や
夏鳥たちの囀りに向かって
大きく開かれていた
音もなく行き交う車の群れや
無機質な摩天楼を
映したこともあった
その窓を次々に通りぬけて
子どもたちは
未知の世界へと旅立って行き
そして誰ひとり戻ってこなかった
(「忘れられた窓」より)
波静かな入り江の沖に
海食洞のある小島が浮かんでいて
泳げない僕は
磯からその島を眺めている
隣にいた 少し年上の男の子
ちょっとあの島に行ってくる
と言うなり海に飛び込む
黒い頭が波間を上下しながら
ぐんぐん遠ざかり
やがて島に泳ぎ着いた小さな人影
泡立つ波の 洞窟の中に消えていく
あのあと あの子は島から戻ったのか
それともそれきり戻ってこなかったのか
(「渡れない島」より)
まっすぐな霧の道を
歩き続けたことがある
真冬の朝
閑散とした国境ゲートを越え
旧ユーゴスラビアからギリシャへと向かう
広大な牧草地の中の一本道を
僕は歩き始めた
地図もなく
その先にどんな町があるのか
はっきり分からないまま
(「まっすぐな霧の道」より)